疲れたかもしれない
最近は自分の会社にもろくに顔を出さず、
よその会社の世話ばかりしていた。
別に自分で選んだことなのでだからなんだ、というわけではないのだが、
なんだか久しぶりに会社に出て、
今まで放置していたことの申し訳なさと、
自分がいなくても若手がちゃんと仕事を回して行く頼もしさとで
複雑な気持ちであった。
世話ついでに夜の街で飲むことも多かったのだが、
やはり銀座のクラブの女たちは美しく、嫉妬深く、そしてがめつい。
よくここまで金を中心に世の中を見れるな、と逆に関心させられる。
とはいえ自分もその輪廻の中に囚われてずっと生きて来たわけだが。
人間、一度囚われると、囚われていることに気づかずに何年も過ごしてしまう。
抜け出すまで分からないから怖い。
知り合いの和食の料理人がこんなことを言っていた。
タバコを吸っている人に本当の美味しさは分からないという。
でもおいしいものはタバコを吸ってても美味しいと思えてしまう。
でもそれは”本当のおいしさ”じゃないんだと。
美しいものを美しいと感じることができるのは、
できているようでできていないんだと思う。
美しいものを美しいと感じられるのは、
本当に限られた一部の人なんだろうと。
自分が今感じる美しさは、本当の美しさなのか、
世界を何かに囚われて見ているんじゃないか。
でも囚われていたら自覚できないから、それが分からないのだ。
孤独に囚われているような気もする。